インドネシア情報局
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弘法大師 空海さんと高野山
2010年11月28日。
ジュエリーの展示会で神戸後、関西のお取引先の計らいで飲みながら美味しいタコ焼きを自身で焼けるお店で御馳走になり、ホテルに一泊させて頂き、最終日に高野山へ観光に連れて行って頂いた。

弘法大師 空海さんに関してはもちろん僅かながらも知識はあり、興味があるも、交通手段が限られる高野山へは訪問する機会がなく、初めてだったので知的好奇心を満たす旅になった。

もっと早くにブログにアップしたかったのだが、空海さんは身近に感じられそうで、学べば学ぶほど広く大きな存在であり、何と表現すればいいのだろうか、語彙の少ない私には綴るにも限りがあるのだが、夕日に照らされ金色に輝く豊潤な海の様な凄さを感じるといったら良いだろうか。
特に凄まじい威力があったと思われる弘法大師の真言密教と彼の霊力、そして書だけでなく、文人としての素晴らしさだけでなく、温泉の発見や伝承では水銀鉱脈の発見など、まさに天才。 それは弟子達からも理解出来、空海さん以上の僧はもちろんのこと、同等レベルの人も生み出せていない。
頭だけでなく、霊力と更に肚の深さなど、ある意味追随したくても誰も追う事の出来ない天賦の才に恵まれたものの結果はそういうことになったのかもしれない。 余程の人物を得ても自分同等の力を持つ弟子を育てることが叶わなたっかのはやはり天才故であろう。

弘法大師 空海さんと高野山 1

総本山金剛峯寺
1593年 豊臣秀吉が母堂の菩提を弔うため寄進したもの。

弘法大師 空海さんと高野山 2

再三の火災で焼失し、現在の本殿は1863年に再建。

書院なども素晴らしいが、私が目を奪われたのは、蟠龍庭(ばんりゅうてい)。

弘法大師 空海さんと高野山 3

石庭としては日本最大の2,340平方メートル。
雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っているように表現されている。
龍は四国産の青い花崗岩140個。
雲海は京都の白い砂を使用。

日本列島は古来より龍体とも言われる。
空海さんは持っていた霊力でそのことに気が付いていたのではあるまいか?
そして空海さんは幼名を真魚(まお)といい、生地は讃岐国多度郡(現 香川県善通寺市)。
渡来人秦氏の多い四国で生まれ、魚の名前が付いているところが興味深い。
伏見稲荷大社を開いた秦氏やその流れを汲む宮司は魚にちなんだ名前を持つ人が多いのです。

思うところはたくさんあるのだが、ブログ上で旅日記として綴っておきたいと思いつつも、これまで綴れなかったというのが正直なところである。
それでは何故今頃綴ろうと思ったのは、正月で若干時間が取れた為ではなく、今年に入り本格的な大きな時代の変化はこれからだと心の中で確信めいたものが生まれたからである。
それは体主霊従から霊主体従への時代の変化。
霊と書くと怪しいが、心と精神性の再建の時代への突入を感じたからである。

弘法大師 空海さんと高野山 4

根本大塔
弘法大師は高野山開山にあたり、この大塔を真言密教の根本道場として根本大塔という。
多宝塔としては日本最初。
現在の大塔は1937年に完成したもので、高さ約48.5メートル、約23.5メートルの四面。
大日如来と金剛界の4仏が祀られ、中は大日如来の浄土で、この中に参ると、仏と血縁出来ると伝えられている。
もちろん私も入場したが、別に願い事などないので、いつもの様に感謝の心のみで手を合わせた。

弘法大師 空海さんの歴史はネット上でもいくらでも学べるので、高野山を訪れた時の印象をそのまま綴っておけば、それはそれでどこかの人の役に立つかもしれないと最近になり何故か思えた。
別に真言宗に帰依しろということは勧めないし、寺に救いを求めろというつもりもない。

弘法大師 空海さんと高野山 5
山王院
地主の神を「山の神」と信じることからこの名が生まれた。

今でこそ神社とお寺が別けられているケースが多く違和感を覚える人もいらっしゃるかもしれないが、奈良時代から約1000年は神仏習合の時代とも言える。 別けたことには様々な理由があり、そのうちの一つには霊的な背景もあったように思える。 ともかく人々が祈念することによって、そこには磁気が蓄積し、様々な世界を別途生み出しているのではないのだろうか? よく当たると言われる予言者や霊能者が外すのは、その人々が生み出した想念の世界が実現化するまでにも、常に状況が刻々と変化を起こすので揺らぎが存在するせいであると考える。 よって私は未来は白紙と考えている。

弘法大師 空海さんと高野山 6
重文 御社
丹生都比売(にうつひめ)は山の神で女体。
現在の社は1522年に再建されたもの。

お寺にしろ神社にしろ、神を祀っている場所は、自身=自分の良心に向き合いに行ったり、神に感謝こそ捧げる場所であり、祈願など欲や自我を満たすための行為は本来慎むべき場所である。 確かに願いを叶える場所もあるだろうが、そうしたい人はそうすればいいだけで私はあまり関係を持ちたくない。
私は無霊能力者だが、様々な人を見ている限り、願いが叶った後の反射が痛々しい人も時には見受けられる気がしている。 それは感覚的なものなので、人と議論するつもりもない。

弘法大師 空海さんと高野山 7
西塔
大塔と一対をなすものである。

11月下旬の高野山は深々とした寒さが肌に突き刺さる時期であった。

弘法大師 空海さんと高野山 8
金堂
高野山御開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半から一山の総本堂として重要な役割を果たしている。
現在の建物は7度目の再建で、1932年に建てられたものである。

神社でも深みがあるのは奥の宮であったりするケースが少なくないのだが、高野山も奥之院が実に興味深い。
約250名の大名中110の藩主が供養塔を立てている。
また奥之院とは別に徳川家は別の場所に霊台を創建している。

弘法大師 空海さんと高野山 9
重文 徳川家霊台は1643年に3代将軍家光によって建てられた。

弘法大師 空海さんと高野山 10
右が東照宮家康霊屋で、左が秀忠の霊屋。

高野山の奥之院には20万基を超える各時代の、あらゆる人々の供養塔が建てられている。
空海さんの霊力とその徳にお縋りしようという思いなのだろうか…。
高くそびえた老杉や苔が深厳さを醸し出している神域である。
高野山は日本第一の死者供養の霊場であり、宗派を超えた総菩提所である。

奥之院には空海さんが入定し、今なおここに参るあらゆる人々を救い続けていると言われ、かつ生前同様に弟子たちにより日々のお給仕が続けられている弘法大師御廟が存在する。
いわゆるここは日本の聖地の一つである。 これより写真撮影は禁止である。

弘法大師 空海さんと高野山 16

奥之院、弘法大師御廟前に立ち並ぶ供養塔でで有名なのは明智光秀の供養塔である。
誤解されたまま歴史に裏切り者と記されている無念故にか、何度造っても割れてしまうことで有名である。

弘法大師 空海さんと高野山 11

以前、武将役の多い俳優が「高野山を訪れ写真を撮ると、役柄縁のあった大名の供養塔だけにどうしてもオーブが入ってしまう」ということをテレビで言っていた。
私は明智光秀公には縁はないのだが、写真には光学現象が原因とは思えないオーブが写ってしまった。

歴史上、汚名をきせられたままで、さぞかし無念だろうから、光秀公のために私の思うところを綴っておこう。

様々な説が存在するが、光秀公は、国をなす上で断りきれない筋、天皇を守護する立場の影の存在から信長公排除を頼まれたと、私は推測している。 信長公は公で、その様な終焉を迎えるべく、行動していたともとれないこともない。 織田信長は勘と感の鋭さでは当代一の天才である。

家康公を祀る日光東照宮の近くに明智平があることは有名で、徳川家を裏で支えた天海大僧正が、織田信長に謀反を起こし山崎の合戦で敗れた明智光秀という説がある。
私はそうは思っていないが、おそらく明智光秀の血縁者が天海大僧正だったに違いないと考えている。

家康は本能寺の変を逃れ、伊賀越えを敢行。
家康は事前から本能寺の変を知っていたのかもしれない。
徳川家の紋章は葵紋だが、葵紋を掲げる神社は天皇祭祀を裏で取り仕切っていると考えられる下鴨神社である。

家康の逃亡劇の際、別ルートを選択した元武田家の重臣、武田を裏切った穴山梅雪は落ち武者狩りにあって命を落とす。 意図的に消された可能性は高いと思います。

単純に主君を裏切った者と、日本人なら絶対に断れない筋からそちらの大義もあった上での主君を裏切った者の差は、似ている様で、全く異なる。 光秀公の無念は秀吉に勝利し仮に生きていたとしても、真実を話せないところにあるのではと思えてしまった。

直接的な証拠にはならないのだが、天皇を脅かす存在になりつつあった信長も、一時期にはそんな存在からも守護をされていた可能性は高い。

弘法大師 空海さんと高野山 20

信長と武田家との戦では長篠の戦いが有名だが、徳川美術館が所蔵する長篠合戦図屏風をよく観察すると面白い。

弘法大師 空海さんと高野山 21

日本の裏は隠していないのに誰も気が付かない叡智が張り巡らされた、世界を要しているようである。
陰陽師を配置して戦に臨んだのだろうか?

弘法大師 空海さんと高野山 22

さて高野山から話題が若干ずれた。

鎌倉にある源頼朝の墓をご覧になった時、「あれ」と感じた人は少なくないのではあるましか?
征夷代将軍にまで登りつめた人物にも関わらず、非常に寂しい場所に墓所はひっそりと存在している。 源氏はいともたやすく北条家(平家説あり)にとって代わった影響もあるのだろうが、源氏の天下は日本の真の意味でのエスタブリッシュメントには歓迎されていなかったともとれないことはない。

墓や供養塔もその人々の生前を少しは表しているのかもしれない。
もちろん戦国大名の場合、その家系が滅んだり、絶えてしまったケースも多く存在するため、一概にはそうとも言えないのだが…。

弘法大師 空海さんと高野山 12

恨みは各所に作ったとは言え、大名、庶民だけでなく更に天皇家への人気を窺ったとも思える豊臣秀吉公の供養塔はそれなりの広さと大きさ。

それに比べ日本に大きな影響を及ぼし、国を変えるためなら仏教徒の殺戮さえも行った天下人一歩手前でこの世をさった織田信長公の供養塔はやはり寂しく実に小さい。

弘法大師 空海さんと高野山 13

高野山には様々な時代の供養塔は宗派を超えて存在する。

北ボルネオ戦没者墓所もある。

弘法大師 空海さんと高野山 14

この看板に注目。

弘法大師 空海さんと高野山 15

「北ボルネオに派遣され、オーストラリアと戦い戦没された両軍の将兵並びに殉死された現地住民の総霊を祀る」と綴られている。

敵や巻き込んでしまった現地の人々へのこんな心深い情こそが本来の日本の文化ではなかろうか。
そして今こそ日本人が早急に見直さなければいけない精神であるような気がして致し方ない。

人間は生きている限り、他の生命を奪って生活している。
命あったものたちへの畏敬の念や感謝は日々の中で最低限必要なのではなかろうか。
時々、思い出してあげたり、犠牲になったことへの感謝の気持ちが何よりの供養なのかもしれない。

弘法大師 空海さんと高野山 17

ロケット(衛星)の供養塔まで存在していたが、人が作ったものにも念が入る限り、ある種動いていたり破壊されない限りは一つの生物ととれないこともない。

婚活なるアホな話が多い昨今の日本。
男女ともにいい人を見つけたかったら、興味のあるその人が親や亡くなった者達にどう接しているかをみれば、あまり間違わないと思う。
亡くしたもの、亡くなった者へ、仮に実行出来なくても、心の中だけでお線香を上げられる人や花を捧げられる人は、情もあり、心優しい人が少なくない筈である。

弘法大師 空海さんと高野山 19

いまだに信仰と人を惹きつけてやまない弘法大師 空海さんが開いた霊場、高野山。
救いを求めたりする場所ではなく、ここも自身や他の生命の存在を見つめなおし、現在は心の海を豊かにするために存在している霊場のように私には思えてしまいました。

弘法大師 空海さんと高野山 18

今年、もう一度訪問する機会が訪れそう。
その時に何が心に浮かぶのか、実に楽しみです。

<参考文献>

高野山 編集・発行 総本山 金剛峰寺
空海と真言宗 大正大学教授 福田亮成 監修 (株)学研パブリッシング発行



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MASAKI

Author:MASAKI
インドネシア在住12年。
09年からインドネシアと日本を
半々の生活。
インドネシアと近隣アジア諸国の
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紹介・輸出しています。
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