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聖徳太子のミステリー
聖徳太子のミステリーは、これまでに色々と語られているのだが非常に面白い。

712年 日本最古の歴史書と言われる「古事記」が献上される。
720年 日本書紀完成。
 
これら記紀に聖徳太子が残したといわれる実績や伝説が記されているのだが、聖徳太子没後100年近く経過してから編纂されていることからも、それらを鵜呑みにしている歴史学者は少ない。

特に日本書紀。
聖徳太子の偉業を美化し、礼賛している部分には、多くの歴史学者が気が付いているように、トリックが存在していると考えられている。

日本書紀において日本の歴史、特にヤマト建国から乙巳の変(大化の改新)に至る歴史にトリックを施したのは、編纂事業にも関わった藤原不比等である。
これにより、日本の正史が見事に隠されたのは、最早歴史学者の中でも常識となってきているようだ。
また更にはどんな仕掛けを国に施したか分かる者にしか見えないようにしたと考えると怪しい話になるのだが、日本こそが歴史上でミステリーが多いと、最近の私は考えている。

今回は聖徳太子のミステリーに重点を当てていく。
それは常識に凝り固まった様なアカデミズムの説なら、普通に各学者の本や論文を読めばそれで済むので、ブログに記す必要がなく、面白くないと考えるからだ。
個人のブログで綴るなら、面白く突拍子もない話の方が楽しいでしょう(笑)。

特に歴史学者の久米邦武博士の説を中心おいて綴ってみる。
久米邦武博士が論じた説はアカデミズムでは全くといっていいほど広がりをみせなかった。
非常に突飛な発想と見る人も多いと思うが、果たしてそれはどうだろうか?

「厩の前で生まれた」ので、聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていた。
既にこの時点から非常に違和感がある。 仮にも皇子にそんな奇妙な名を付けることがあるのだろうか?

Wikipediaにも久米博士の説が紹介されている。
久米邦武博士は「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教のネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」(Wikipediaより)と考えたのだ。

しかし実際のところ、一つずつ列記していくと、聖徳太子とイエス・キリストの共通点や類似点は非常に多いのである。

受胎告知の共通性

穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は夢に現れた救世観音によって、聖徳太子を身ごもる。

処女マリアに大天使ガブリエルが降り、聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、マリアもそれを受け入れる。 (旧約聖書イザヤ書) レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画も有名。

生まれた場所の類似性

厩(馬小屋)の前で生まれたので聖徳太子は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と呼ばれていた。
★ 諸説あり、「叔父にあたる蘇我馬子の家で生まれた」「生誕地の近辺に厩戸という地名あり」とも言われる。

聖徳太子のミステリー 1
橘寺。 馬の像。

イエス・キリストは馬小屋で生まれた。
★ イザヤ書で述べられており小屋とある。 馬のいない家畜小屋とも言われるが、日本語訳では馬小屋と訳されることもあるようだ。 一説には洞窟で生まれたとも説かれている。

ルカ福音書には「飼い葉桶に寝かせた」と記載あり。

職業に見られる類似性

厩戸皇子=聖徳太子は法隆寺など多くの寺を建立したため、大工の祖として崇められている。
大工道具の曲尺を発明したとも言われ、大工や建築を生業とする人達の間で「太子講」が組織され、建築業界では太子信仰が存在している。

イエスの父(ヨセフ)が大工だったので、跡継ぎと考えられている。
マルコ福音書に綴られている。

血筋は王家の共通点

聖徳太子は、橘豊日命(たちばなのとよひみこと・後の用命天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を父母として誕生。

新約聖書ではしばしばイエス・キリストを「ダビデの子」と綴っている。
反面「マルコ福音書」「マタイ福音書」「ルカ福音書」のいずれにおいても、イエスがダビデ王の子孫であることは否定されているようだ。

預言者としての類似性

聖徳太子は日本書紀の中に「兼知未然(かねてみぜんをしる)」とあり、この記述が未来を予知できた予言者として捉える人もいる。

くしくも天皇家が乱れた南北朝時代、後醍醐天皇に忠誠を捧げた楠正成が「太平記」の中で四天王寺で「未来記」を閲覧したという記述あり。
「日本國未来記」と「未然本記」のこと。
聖徳太子の時代「卜部氏」と「忌部氏」が書き残していた古記録を基にして編纂したという「先代旧事本紀大成経」(72巻本)の69巻目が「未然本記」。

この「忌部氏」の出自が日本の正史を見る中で非常に重要だと思います。

イエス・キリストは預言者。

数字の奇妙な一致

聖徳太子の偉業の中でも有名なものの一つは「冠位十二階」。

冠位十二階は、官位の任命を天皇が行うことにより、豪族に対する天皇の権威向上を図ったとも言われ、豪族を序列化し、また、氏や姓姓にとらわれることなく優秀な人材を登用することを目指したとも言われている。

イエス・キリストは12使徒を持った。

イエス・キリストに側近の弟子として仕え、原始キリスト教の布教活動を精力的に行った12人である。
イエス・キリストの12使徒は、神が統率する新しい精神的王国の到来を意味すると同時に、イスラエル民族の12部族の歴史を象徴するものでもあった。


聖徳太子。
名前の意味を字のままに感じ取ろうとすると「聖なる徳をもった子」。

人によっては全てこじつけ、トンデモない論で、馬鹿にする論だと思う。
まあ怪しい話を信じるか信じないかは個々の問題であり、ここで論じ合うつもりはない。

更に古い文献の正当性や訳における正否は、悲しいかな現代に生きる我々には常に付きまとう問題でもある。

しかしながら、いかがであろうか?
久米邦武博士が考えた説は、あながち冗談とは思えない一致性がないわけではない。

聖徳太子のミステリー 2

教科書やアカデミズムが語る歴史には、崇仏派の蘇我馬子の軍に厩戸皇子(聖徳太子)も加わり、排仏派(神道派)の物部守屋を討伐と語られる。

この戦は武力を持つ物部氏に防戦されかなり苦戦したようだ。
日本書紀では聖徳太子は崇仏派として活躍し、戦の前に四天王(仏教の守護神)の像を彫り「戦いに勝たせて頂けたら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と祈った後、勝利したとある。

この話も完全に作り話だった可能性が大である。

要するに日本書紀の編纂に関わり、日本の正史を、藤原家安泰というだけの悪い意味ではなく、未来の日本国の存続をかけるくらいの意味を持ち、天皇家と秦氏、物部氏の意向もうけた藤原不比等が仕掛けた罠ではないだろうか?

聖徳太子が建立したと言われる四天王寺は、元はイナリ神社だったらいががだろうか?
四天王寺の西門には神社につきものの「鳥居」が存在し、由緒書きには聖徳太子の時代からあったものと綴られているらしい。

事実、四天王寺は昔、神社であったようだ。
現在の地に移る前、四天王寺建立縁起には、玉造の地にあったことが記されている。
その聖徳太子が四天王寺を最初に建立した地、玉造の地には現在「玉造稲荷神社」が建っている。

四天王寺と玉造稲荷神社の共通性は見える。
稲荷神社に関わらず鳥居は、四天王寺同様に朱ではない。
そして鳥居の方向は、全国でも珍しい西向き。
更に双方には「亀池」が存在する。

玉造稲荷神社の社伝では、聖徳太子は「私に勝利を与えて下さるなら、この栗の白木の箸に枝葉を生じさせて下さい」と神(豊受大神)に祈ったそうだ。
すると枝葉が生じて、戦に勝利。
聖徳太子の願いが通じたということは、彼の祈りが通じ彼とともに神がいたということらしい。 これ以上は綴らないが、似た話が旧約聖書にあります。

622年に聖徳太子あるいは忌部氏が編纂したと言われる「先代旧事本紀大成経」という歴史書が、江戸時代に伊勢内宮の別宮「伊雑宮」の神庫から発見された。
この内容が問題で、その中に「伊雑宮こそが伊勢三宮(内宮、外宮+ワン)の本宮」とあったため、伊勢神宮からの反発だけでなく、幕府は「偽書」とレッテルを貼った事件が起きている。

偽書と当時の政府が決めてしまえば、現在のアカデミズムでもどれほど研究されているかは私には分からない。
しかしながら「先代旧事本紀大成経」には、聖徳太子は仏教を「インドの神道」として見ており、仏教と儒教を学問として取り入れたが、日本の神道を根本としていたと綴られているようである。

不思議な話の連続で信じられない人がほとんどだろう。

ただ最後にもう一つ、その不思議さに不思議さを重ねることで、少しだけ分かりやすく出来たらと思う。

大阪と奈良県の県境に「王陵の谷」と呼ばれる一角がある。
聖徳太子にゆかりのある数々の天皇の古墳がある。
まるでエジプトの「王家の谷」を彷彿とさせるような場所である。

聖徳太子を祭るのは叡福寺の聖徳太子廟。
更に人知れず、叡福寺を見下ろす高台に「西方院」が存在する。
西方院は、代々、尼僧が住職を勤め、現在のご住職さんも「蘇我さん」らしい。
西方院も聖徳太子の墓陵を守ってきたのだが、寺には不思議な伝承がある。

太子死去の後、3人の御乳母、善信(蘇我馬子の娘)、禅蔵(小野妹子の娘)、恵善(物部守屋の娘)が、出家し、太子御廟の前に一宇を建立したのが始まりと言われている。

「日本書紀」には、蘇我氏と物部氏は犬猿の仲だったと記す。
蘇我馬子の孫、入鹿は聖徳太子末裔一族を滅ぼしている。
物部守屋に至っては、蘇我馬子と聖徳太子に滅ぼされている。
その蘇我氏と物部氏の子孫に挟まれるように守られてきた太子御廟。

聖徳太子とは一体何者だったのだろう?
おそらくこのからくりには聖徳太子の影のブレーンであり、太子の時代にあまり目立たないレベルで僅かに歴史に名を残している「秦氏」が絡んでいると考えている。

日本の正史には、本当に不思議な国仕掛けがされている。
実は深い神道知識があれば見えているのに誰も気が付かないという方法で隠されているのだと思う。
例えば「相撲」の中にもそのヒントがある。
何故、宮内庁は陛下が普段何をしているか、国民に知らしめないのだろう? 普通の人の中には税金の無駄遣いと失礼なことを考えている人は少なくないと思うだが、何故もっと皆に分かるように公表しないのだろうか?

近い将来、天皇家が京都にお帰りになる事態があり、もしその時、世界が真の危機の事態を迎えていたら、その時にその謎は自然にとけるのかもしれないと、最近私的には思っています。

長くなりましたが、聖徳太子のミステリーはこれにて終了。
昨年訪れた明日香村、大神神社、伊勢神宮を巡る旅を何故簡単に綴れないか、これまでこのブログを続けて読んできてくれた方には分かっていただけたと思います。


参考文献

「大化改新の謎を切る」 関祐二 著 (PHP研究所)
「日本の中のユダヤ文化」 久保有政 著 (学研)
「在位60年記念 日本美術名宝展」文化庁、東京・京都国立博物館 編集
「漫画 日本の歴史」 (集英社)
「Wikipedia」と「教えてGoo」。
その他、今手元にない読んだ本達からの記憶。




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MASAKI

Author:MASAKI
インドネシア在住12年。
09年からインドネシアと日本を
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インドネシアと近隣アジア諸国の
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