インドネシア情報局
インドネシアでの日々の出来事、生活情報、旅行情報、面白ニュース、お店等の最新情報を綴っています。またインドネシアを中心にアジアの様々なメーカー商品や商材を紹介していきます。 ビジネスに対する御質問もお受けしています。
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不景気またよし
少々バタバタしており、またそんなところでメールサーバーの調子がおかしかったため、仕事が大混乱。
そんな理由でブログの更新がおろそかになりました。

その間も世界では次々に事件や変化が起きます。

私が日本で最初にお世話になった会社もTOBにより姿を消すことが決定。
上場も取り消しのようだ。

思えば私にはいい会社というよりも良き学校だった・・・。

同期に希望者がいなかったので、英語が出来なくても希望した貿易部に入れてもらえた。
貿易部にいる間、アジア10ヵ国を担当し、6ヵ国は出張で訪問出来た。

規則としては価格の決済は上司を通してだったが、一度課の受注予定を満たすための香港出張でうまくやった後は、勝手に自己決済して、事後報告でも誰も上司は文句を言わなかった。

シンガポールで酒を飲みすぎ、起きたら飛行機が飛んでいたのだが、嘘でいいから理由をつけて業務連絡を書けと上司に言われたのでその通りにしたら、自己負担と腹を括っていた飛行機代を払ってくれた。

舐めた発言や会社に対する理不尽なクレームをする海外代理店には、話を聞いたのち「そんなに文句ばっかり言っているのなら辞めれば? 俺、他の会社探せるから気にしなくていいよ! とりあえず出張報告書で上に報告するところからスタートさせるけどいいね?」と脅したりもしていた。

調子に乗って最後の2年は、フレックスタイムに間に合わない13時過ぎごろに出社していたが、誰も文句を言わなかった。 あの頃は昼過ぎに出社し、終電に間に合う時間に切り上げ。 そして下北沢。 明け方までBarで飲んで、徒歩で帰宅し、昼前に起きるという日々だった。

残業時間(13時から働く私は残業ではないのだが)中は、よくビールや酒を飲みながら仕事をした。
就業時間中でも夏場はアイスを食いにコンビニによく通った。

トイックの試験を受けたら、社内でビリから2番目(英語の関係ない受験者あり)。 担当国が多ければ、出張にも出ていたので、人事部がビックリ。 貿易部の取締役が人事の取締役に私の売り上げ表も持って申し開きに。

2度目の試験の時は人事の主任が「今回は頼むよ!」と懇願。
昔の巨人の天才バッター川上(のち9連勝に導いた監督)が「ボールが止まって見える」といったという台詞があるのだが、そちらを真似て「海外出張から帰ってきたばっかりなので、ヒヤリングの試験は英語が止まって聞こえましたよ!」と試験後豪語しておいたら、順位はケツから数ランクだけアップ。
とてもTOEIC何点などと履歴書に書ける点数ではなかった。

入社5年目の取締役面談後も、褒められただけで注意の一つもなかった。

社長に「インドネシア市場の展望説明」を求められ、課長と一緒に社長室に訪れるよう指示が出たが、当日に例のごとく遅刻した。 いや~、元々、気は弱い方なのであん時は少々ビビった。 またサシで社長と話が出来るチャンスを逃したことは今思い出すと残念だったと思う。 課長が体調不良ということで誤魔化したのか、私には何もお咎めはなかった。

まだまだ色々あるのだが「お前こそ社会を舐めるな」とか憤慨する人もいそうなので、美しい思い出の回想録はここまでにする。 不良は勤務態度だけで、仕事は面白かったので真剣にこなしていたつもりです。

思えばそこそこの大手メーカーという「強い看板」を背負っていたからこそ、社内外でやりたい放題だったところは非常に自覚していた。 自分に実力があったとは微塵も思っていない。

いや~、それでも仕事中は楽しみを見出しながら、本当に真剣に熱心に働いていました。
瞬間、ビジネス会話上で脅すことをしても、真摯な気持ちや行動は代理店にも伝わっていたようで、各国随分売り上げを伸ばしてくれていた良き時代に働かせてもらったことは、今でも感謝の気持ちが尽きません。

なんでそんな良い会社を辞めたか?

人事考課でも「査定は同期でNo.1」と言われていたが、同期と比べたら最低だった。 当り前だね(笑)。
勤怠不良でも誰も怒らない状況に「このままでは自分が駄目になる」と危惧した。
私の前では文句も言えないくせに、完全に無視する、内弁慶の取締役一名が非常に気に入らなかった。
1200名の上に立つ取締役が、平社員1名の陰口たたいている姿は、男として哀れ過ぎます。
私並みにシャイで気が弱い性格だったかもしれないが・・・。 どうせその後インドネシアでの就職が決まっていたので、机くらい蹴飛ばして辞めればよかったね。

そこそこの規模の会社では「強そうで気が弱い=心配りに長けている=気が付く=頭が切れる」なんて人が出世するようなこともあるようだが、内弁慶野郎は「強きに弱く、何にか注意すると反発したり問題おこしそうな部下は無視」と、そんな野郎でした。 無視されていたのは俺だけか(笑) まあ性格的にも恐怖人事を行いそうな野郎だったので、表向きは靡いている人も少なくなかったな。
そしてそんな野郎でも上場会社の専務にまでなったので、俺があの会社にいたら社長だったのかと少々思わないでもない。 いや、そんなことになったらTOB前にとっとと潰れたか(笑)。

もちろん性格が合う合わないがあるので、嫌っている人も多かっただろうが、何人かの先輩とはいまだに懇意にさせていただいているし、お世話になっていた当時は他部署の先輩や課長さんも良く飲みに連れて行ってくれました。

性格が合わないので、今や付き合いもありませんが、当時の先輩一名が精神病のようです。
とっても真面目な方ですが、私からすれば理不尽に無視されたり、業務上では関係ない非常にくだらないレベルで怒られたこともありました。

会社で意味もなく露骨に無視する。
「へえ~、社会人でも虐めってあるんだね」位に居直っていました。

私は入社当時、周りに迷惑をかけたくないので、早く仕事を覚えようとして、仕事の多い先輩に教わりながらの残業が多かったです。
そんな私を無視し始めたその先輩は「仕事は時間内で終了させ帰宅する」というポリシーの人でしたので、怒りも解らないでもありません。 その人の人生で見れば、私は規格外で、言葉使いも影響して生意気だったのでしょう。 ただし私の行動とその人の思想には仕事上、担当国も違ったため、何ら関係ない話です。

不景気またよし

今回のブログタイトルにしたこの台詞は「景気よし、不景気またよし」からとっており、松下幸之助翁の発言集本のタイトルです。

不景気=未曽有の混乱期。
クダラナイ精神性をもった野郎が勝手に自爆する時代にもなったので、そんな観点では「不景気またよし」と思える面白い時代でもあります。

時代が時代なので、私が日本の会社にいた頃よりも、個々のストレスや精神の崩壊、例えば会社内では部下さえも守らない、守れないという状況は、カオス的でしょう。
当時の私だったら今の日本では職場もないでしょう。
反面、そんな時代は人の精神性を表に炙り出しもします。
これまでは「良い人」と思われていた人でも仮面が剥げ、真の精神性が丸見えの時代になったきたなあと、最近面白いほど感じますし良く見えるようになってきたと思っています。

そんな意味でも「不景気またよし」で、個々に自己を省みる時期や転機が、この2010年からスタートなのかもしれませんね。




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MASAKI

Author:MASAKI
インドネシア在住12年。
09年からインドネシアと日本を
半々の生活。
インドネシアと近隣アジア諸国の
商品・商材を、日本を含めた世界へ
紹介・輸出しています。
インドネシア情報満載のブログです。



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